佐々木朗希選手がドジャースと契約したというビッグニュースが舞い込みました。
次は、何番の背番号を付けるかが気になるところですね!
先日、メジャーの試合を観ていたら、ヤンキーススタジアムに掲示してある番号に目が止まり
なんだ?と思い聞いていると“永久欠番”の数字だと知りました。
つい最近だとデレク・ジーター選手の背番号2が永久欠番になり、1桁の背番号がヤンキースから無くなるという。。。
やっぱり欠番になる番号をつけていた選手達は、野球をやっていると必ず聞いたことがあるような名選手ばかりで納得がいきました。
今回はそんな”永久欠番”について、お伝えしていきます。
永久欠番とは何ぞや
「永久欠番(えいきゅうけつばん)」とは、主にスポーツチームやクラブにおいて、特定の選手や関係者の功績を称え、番号を永久に使用しないことを決定した場合に使われます。
日本のプロ野球やサッカーなどでも見られることがあり、選手の引退後、その番号が他の選手に使われることがないようにするための措置です。
野球では、伝説的な選手の背番号(例えば、野球界の巨星である ベーブ・ルースの「3番」)が永久欠番として保存され、他の選手がその番号をつけることはありません。
日本のプロ野球を例に挙げると、阪神タイガースの「10番」を永久欠番にしています。
それは、元選手・藤村富美男氏(初代ミスター・タイガース)の功績に敬意を表すため。
また他のスポーツにおいても、選手が非常に大きな影響を与えた場合、永久欠番が選ばれることがあります。
日本球界、永久欠番の歴史をたどる
日本で最初に永久欠番が制定されたのは、1989年です。この年、南海ホークス(現在の福岡ソフトバンクホークス)が、野村克也選手の背番号「3」を永久欠番として扱うことを決定しました。
野村克也選手は、長年チームの中心選手として活躍し、その後監督としても成功を収めたため、チームの歴史と伝統を象徴する存在として、その背番号「3」は永久に使われないこととなりました。
これが、日本プロ野球における初めての永久欠番の事例となります。
つまり野村選手の活躍や功績が、彼の背番号を象徴的な意味で永遠に残す価値のあるものとされ、他の日本のプロ野球チームにも影響を与えました。
その後、他の選手たちにも永久欠番が制定されるようになり、日本プロ野球でも重要な選手や功績を讃えるために永久欠番が使用されるようになりました。
有名なところでいくと…
沢村栄治選手と黒沢俊夫選手の背番号が永久欠番になったのは、1994年(平成6年)です。
<沢村栄治:巨人14番>
日本プロ野球初の三冠投手であり、戦後の野球界に大きな影響を与えました。
日本では、シーズンで1番素晴らしい投手に送られる【沢村賞】の沢村栄治。
私が小学生の時に沢村栄治選手の伝記を読んだなぁ。。
<黒沢俊夫:巨人4番>
当時、読売ジャイアンツに所属し南海ホークスで活躍した名選手で、チームの顔として長年活躍しました。黒沢選手はシーズン中に、病気のため急逝しました。
球団は黒沢選手の功績を称え、身につけていた背番号「4」を永久欠番に制定しています。
今後は大谷翔平選手「17」も、いずれ永久欠番の選手になるんだろうか…?
これだけの偉業を達成している野球選手、世界でも類を見ないですよね。
おまけ☟
日本球界では、横浜DeNAベイスターズ、福岡ソフトバンクホークス、東京ヤクルトスワローズ、千葉ロッテマリーンズは、永久欠番なし。
そもそも永久欠番が初めて制定されたのは、ニューヨーク・ヤンキース
永久欠番の歴史は1939年7月、ニューヨーク・ヤンキースのルー・ゲーリッグが使用していた背番号「4」を欠番としたことに始まります。
この年ゲーリッグは、不治の病とされていた(今では難病指定されていますね)”筋萎縮性側索硬化症(ALS、いわゆる「ルー・ゲーリッグ病」)”で、6月に引退を余儀なくされました。
しかし長年の功績に敬意を表して、彼が病気から復帰するまでチームとして彼の背番号を他の誰にも使わせないという意味で欠番措置にしました。
そのことに対し、ゲーリッグは引退後もチームに居続けることができる!と歓喜したそうです。
実は、ヤンキースには永久欠番が22個もあり、これはメジャーリーグの中でダントツの数字です。
ヤンキースの永久欠番の選手を見ていくと、
①1:ビリー・マーティン
②2:デレク・ジーター
③3:ベーブ・ルース
④4:ルー・ゲーリック
⑤5:ジョー・ディマジオ
⑥6:ジョー・トーリ
⑦7:ミッキー・マントル
⑧8:ビル・ディッキー/ヨギ・ベラ
⑨9:ロジャー・マリス
⑩10:フィル・リズート
⑪15:サーマン・マンソン
⑫16:ホワイティ・フォード
⑬20:ホルヘ・ポサダ
⑭23:ドン・マッティングリー
⑮32:エルストン・ハワード
⑯37:ケイシー・ステンゲル
⑰42:ジャッキー・ロビンソン
⑱42:マリアノ・リベラ
⑲44:レジー・ジャクソン
⑳46:アンディ・ペティット
㉑49:ロン・ギドリー
㉒51:バーニー・ウィリアムズ
☆ちなみに…初めて背番号を採用したのも、1929年のニューヨーク・ヤンキースでした。
ヤンキースで1桁が無くなった(もう使える番号がない)ら、2019年に1桁の背番号が復活!!と、なんと「0番」…!
アダム・オッタビーノ選手の名前にかけて、「0番」だそうですね。
でも、こんなに欠番ばかりだと、これからの若き才能ある選手達がつける背番号がなくなりそうで怖いので、個人的には見直しを期待したいなぁと思います。
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