今年も甲子園の夏がやってきましたね!
気温も異様に高いですが、甲子園もアツい!!
100年以上も続く甲子園、30代のわたしでも知らない歴史があったので
今回みなさんと共有したいと思います。
甲子園の誕生!
1915(大正4)年、第一次世界大戦の最中でした。
その時は大阪府豊中市のグラウンドで開催されました。
まさかの甲子園球場ではないんですね~!
さて。
甲子園球場が完成したのは、1924(大正13、12/25~昭和元)年です!
その甲子園球場が完成までにかかった期間は、わずか半年なんですよ!?
今では考えられないほどのハードな労働(!)に加えて、雨が降る日が少なかったそうです。
そして、当時は中学生が参加することもでき、終戦後の学制改革によって「高校野球」となりました。
<高校野球>
春:選抜高等学校野球大会
☞1924(大正13)年~夏の甲子園への出場権(シード権)を獲得するために開催されるようになりました。
夏:全国高等学校野球選手権大会
有名なのは夏の全国高等学校野球選手権大会(いわゆる甲子園)ですが、実は高校野球は、春・夏・秋の3大会があるんですよ。
甲子園が全国に広まっていったきっかけ。
何事にも物事が広まるきっかけはあると思うんですが、それは甲子園も然り。
甲子園は100年以上も続いていることもあり、そこには時代背景が大きく関係しています。
具体的に見ていくと…
1952(昭和27)年:ユニフォームに背番号を付けるようになる。
1953(昭和28)年:テレビで実況中継が始まる。
1965(昭和40)年:カラーテレビで高校野球が中継される。
1974(昭和49)年:金属バットの使用が認められる。
⇒1980年代には、金属バットの使用率が大幅に高くなり、打撃戦が繰り広げられました!!
1996(平成8)年:男女問わず、記録員1名がベンチ入りできるようになる。
1997(平成9)年:連合チームでの甲子園出場が認められる。
2000年代に入ると、春の大会のみ『21世紀枠』が誕生します!
⇒この『21世紀枠』というのは、秋の都道府県大会でベスト8以上、参加校が128校以上の都道府県であれば、ベスト16以上という条件があります。
2013(平成25)年:夏の大会から、準々決勝の試合の翌日に休養日を設ける。
2018(平成30)年:春の大会から、タイブレーク制度(延長13回から適用され、ノーアウト1・2塁から開始)を導入。
⇒タイブレーク制度とは、試合が円滑にかつ早く得点が入りやすいように、イニングが始まる時からランナーを置いてスタートする。
現在の甲子園の場合は、延長10回からっ適用されワンアウト満塁から開始。
その他、投手に対し、1週間に500球までという投球制限も設けられました。
去年(2023・R5年)からは、暑さ対策としてクーリングタイムが、今年(2024・R6年)からは午前と夕方に分けて試合をする2部制を導入(ただし開幕から3日間に限る)されます。
このように、選手の負担をできるだけ軽減する動きが出てきました。
実は、甲子園がなかった年がある…。
太平洋戦争(1941(昭和16)年~1945(昭和20)年)の影響により、
1941年、1943年、1944年、1945年の甲子園は中止されました。
しかし、1942年は戦禍真っ只中で”国民精神の高揚のため”として大会史に記録は残されませんでしたが、開催されました。
そのため『幻の甲子園』と呼ばれています。
記憶に新しいのは、コロナ禍により2020(R4)年の春・夏の大会は中止になりましたね。
完全になくなったわけではなく、『2020年甲子園高校野球交流試合』として、試合自体は行われました。
甲子園球場以外で試合が行われた大会が3回ある。
❶1946(昭和21)年:第28回大会
❷1958(昭和33)年:第40回大会
❸1963(昭和38)年:第45回大会
❶は、戦争直後で甲子園球場が占領軍に接収されていたため使用できなかったようで、西宮球場が使用されました。
❷❸は、出場校が増えたことに伴い試合数が増えたことによる対応措置がとられ、甲子園球場の他、西宮球場が使用され2会場で開催されました!!
なんだか、良くも悪くも時代に翻弄されたということがよく分かりますね。
まとめ
甲子園は100年以上続く、高校野球の大会です。
戦争や時代の移り変わりによって翻弄されたり、変革が行われてきました。
今では選手の負担を軽減するような規定が設けられています。
以上から、野球(とりわけ甲子園)に日本人が熱狂する理由が透けて見えますね^^
今年(第106回大会)も県大会を勝ち抜いた選手たちのアツい試合を、楽しみに待っています!
ガンバレー!!!
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